2007年12月20日

「バルカン・ラプソディー」 ヘルケンホフ (pan fl) 他 (独Oehms)

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ヘルケンホフ : ルーマニアの旅の絵葉書
バルトーク : ルーマニア民族舞曲(*)
ケラー : バルカニア
ハジエフ : 12のブルガリアの舞曲

ウルリヒ・ヘルケンホフ(パンフルート)
ミュンヘン放送交響楽団
指揮 : 上岡 敏之、エンリ・ラウダレス(*)

輸入盤 : 独Oehms Classics OC603

京都に楽器のメンテに行ったときに、同地のレコード屋さんで、パンフルートなるものがどんなものかもよく知らずに買ったディスクです。検索してみると、竹または葦を音高に合わせて切りそろえ、それを横に並べて吹く楽器だそうです。そうした構造のシンプルさとは裏腹に、半音を吹くときに息を吹き入れる方向など、微妙な技術が要求される奥の深い楽器であるとのこと。またこれに類する楽器は世界中に見られるが、ルーマニアの民族音楽においては「ナイ」と呼ばれ、現在に至るまで主要な民族楽器のひとつとしての位置を占めているということです。

このディスクでルーマニアをはじめとするバルカンの民謡に取材した曲を実に自然な息遣いで演奏しているヘルケンホフ氏は実はドイツ人。解説によると幼少から普通にピアノを学んでいた氏はようやく14歳になってから初めてパンフルートの音に触れて以来この楽器に魅せられ、奏法をほぼ独学で習得したのち、ソリストとして活躍する傍ら、民族音楽学者のマルセル・セリエ(Marcel Cellier)という人物の協力を得てルーマニアの民謡を深く研究したそうです。

このディスクの1曲め『ルーマニアの旅の絵葉書』は、パンフルートで奏されるルーマニア各地の民族的な旋律にオーケストラの伴奏を加え、ひとつの組曲としてのまとまりを与えたものです。ひとつめの「トランシルヴァニア(ルーマニア北西部)からの絵葉書」はラルゴのテンポで緩やかに奏されます。これを聴いてぼくは「ああ、どこかのコマーシャルか何かで聞いたことのある音だな。この調子でヒーリングっぽく最後まで続けるのかな」などと思っていたのですが、次の「オアシュ(同北部、ウクライナとの国境付近)からの絵葉書」に入ったとたんパンフルートに協奏曲のような、急速に駆け回る旋律が出てきたので驚きました。この曲には他に「オルテニア(南西部)」「ムンテニア(東南部)」からの「絵葉書」が含まれており(オルテニアからの「絵葉書」は2枚あるので「絵葉書」は全部で5枚)、全体としてパンフルートによる緩急自在の、技巧的な見せ場もたっぷりの「協奏風組曲」に仕上がっています。なおこの曲は奏者のヘルケンホフ氏自身の作ですが、解説によると氏は謙虚にも「自分は民謡素材にアレンジを加えただけ」と述べているということです。

次の『ルーマニア民族舞曲』はおなじみバルトークの有名作。「この曲には作曲家の類稀な才能だけでなく、ルーマニアの民族音楽の精神が自然のままで取り込まれている、よってこの曲をパンフルートで奏することはきわめて自然なことだ」という意味のことを、このあとに収録された曲の作曲者であるマティアス・ケラー氏が解説の中で述べていますが、まことにその言葉どおり、独奏パートをヴァイオリンに代わってパンフルートに受け持たせたこの演奏は実に違和感なく自然で、かつヴァイオリンのソロとはまた違った、より素朴な色合いを持っています。

続いては上述のマティアス・ケラー氏による、パンフルートとオーケストラのための『バルカニア』。解説によればケラー氏はウルケンホフ氏の演奏のピアノ伴奏をしばしば勤める間柄でもあるそうです。ジャケットの表記に「バルカンの虐殺の犠牲者に捧ぐ」とありますが、ケラー氏自身による解説の記述から、この「虐殺」とはコソボ紛争のことではないかと思われます。曲はパンフルートで奏される純朴な民謡の旋律がオーケストラによる戦争の脅威の表現に追われるようにしながら進行しますが、終結部は作曲者の意思でしょうか、オーケストラの全奏で締めくくられるにもかかわらず、一筋の希望を感じさせる控えめな長調の和音で閉じられています。

最後の曲はブルガリアの作曲家、パラシュケフ・ハジエフ(1912-1992)による「12のブルガリアの舞曲」です。オリジナルの伴奏はピアノのみですが、ここでは上記のケラー氏による、この録音のために書かれたオーケストラ編曲版が使用されています。解説書には「ブルガリア人の好む5拍子、7拍子、11拍子といった多様な『非対称的リズム』を生かした曲となっていることが、この曲の最大の特徴である」という意味のことが書かれていますが、聴いてみて実にそのとおりだと思いました。2拍子、3拍子、4拍子といった言わば「ありふれた」リズムとは違った仕方で自分の身体がシェイクされるようで、実に気持ちのイイ音楽です。

【関連リンク】
牧神の笛 大束晋パンフルート
Pan Flute パンフルート
パンフル−トに魅せられて
東欧の踊りと衣装
ルーマニア - Wikipedia
ルーマニア政府観光局
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2007年09月17日

J.S.バッハ : 無伴奏チェロ組曲(全曲) 堤剛 (ソニー)

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J.S.バッハ (1685-1750) :
無伴奏チェロ組曲(全曲)

堤剛(チェロ)

国内盤 : ソニー SICC 756〜7


8月末にソニーから、日本を代表するチェリストのひとりである堤剛氏のディスクが4点7枚再発されました。この「無伴奏」は1990年から91年にかけての録音で、彼の2度めの録音であるということです。

最初に書いておきますが、時間の関係で聴いたのは第1番、第2番、および第6番が収録されている一枚めのディスクのみです。細かいところでほんの少しだけ音色の乱れる点もありますが、全体としては非常に几帳面に演奏された「無伴奏」であると思いました。

いままで何種類かの「無伴奏」を聴いてきましたが、今回堤氏の盤を聴いてユニークだと思ったのは、「歌い回しの抑揚が感覚的に納得できる」点です。日本人のチェリストによる演奏であることがその大きな理由になるかもしれません。もちろん堤氏はローカルな表現を目指していたのではないのでしょうが。

なお、ぼくが聴いた一枚目でも数箇所、テンポをはっきり落とし、かつ揺らせて「歌いこむ」場面が聴き取れました。全体的に装飾の少ない弾きぶりであるため、もしかするとこのような部分にやや違和感を感じるひともいるかもしれません。
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2007年02月27日

ムラヴィンスキー/ライヴ・セレクション1965 (ドリームライフ)

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ムラヴィンスキー/ライヴ・セレクション1965

(CD1)
ムソルグスキー : 歌劇『ホヴァーンシチナ』より前奏曲
「モスクワ河の夜明け」
チャイコフスキー : 交響曲第5番 ホ短調 作品64
サルマノフ : 交響曲第3番(1963)

(CD2)
グリンカ : 歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲
B.ベレゾフスキー : ピアノと弦楽オーケストラのための
パルティータ(*)
ショスタコーヴィチ : 交響曲第5番 ニ短調 作品47

レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 : エフゲニー・ムラヴィンスキー
ピアノ : O.クルイローヴァ(*)

国内盤 : ドリームライフ DLCA-7016
(発売・販売 : ニホンモニター株式会社)


今回の紹介記事は、まず『レコード芸術』最新号(2007年3月号)に掲載された、この盤に関する評論家・宇野功芳氏のコメントの抜粋から。

「すべて1965年のライヴ。それにしては音がひどい・・・音楽的に低クラスだ・・・金管の音は金属的で安っぽい・・・ショスタコーヴィチもおもちゃの録音機で採った(ママ)ような感じで、音楽が聴こえて来ない」

宇野センセイ・・・はっきり言ってこのコメント、「 営 業 妨 害 」に等しいですよ。このディスクのプロデューサーの平林直哉さんは訴えてもいいんじゃないかと思うくらい。

1965年のソ連におけるライヴ録音という条件から来る技術的制約は確かにあります。テープヒスもあります。曲によって違いますが聴衆ノイズもけっこう目立つ。楽音の響き具合、弦と管との音量バランスもまちまち。ライヴにはつきものの細かな演奏上のキズもあります・・・ですが実際に聴いてみればすぐに分かるのですが、「音楽的に低クラスのひどい録音」などでは「 絶 対 に 」ありません。歴史的録音としては充分に水準を満たしており、鑑賞には問題なく堪え得ると感じられますし、何より収録されているムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの演奏は、少々の録音上の不利など吹き飛ばしてしまうほどの芸格の高さを示しています。これを「ひどい録音」だと言うことは、ルビジウム・クロックを使ったDSDレコーディングすらICレコーダーと同じだと言うに等しい。お年を召したために体力や聴力(医学的な)が堪えられないのであれば、後進に道を譲られてはいかがかと思うのですが。このような「紋切り型でかつ投げやり」な批評を読まされる者の身にもなってほしいと思います。

ぼくがこないだきわめて好意的に評価したジンマン/チューリヒ・トーンハレのマーラー『交響曲第1番』に対する宇野氏の評があまりに「投げやり」「やっつけ」であるようにぼくには思えたので、ある種の「義憤」に駆られたような気持ちで、同じような評を食らったこの盤を買うことに決めました。で、聴いてみたら、ぼくの評価はまるきり正反対、興味はあるけど宇野氏の評を見て購入に二の足を踏んでいるという方も安心していいですよお、というお話でした。
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2007年02月12日

マーラー : 交響曲第1番、花の章 ジンマン/チューリヒ・トーンハレ菅 (RCA)

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グスタフ・マーラー(1860-1911) :
交響曲第1番ニ長調、花の章

チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
指揮 : デイヴィッド・ジンマン

国内盤 : RCA BVCC-37471
(発売 : BMGジャパン)

70歳の誕生日を間近に控えた(*注1)名匠デイヴィッド・ジンマンが、満を持して取り掛かったマーラーの交響曲全曲チクルスの第1弾「交響曲第1番ニ長調(巨人)」がリリースされました。解説書によれば、トーンハレ菅との演奏会、およびそれと並行して進められる録音は番号順に行なわれ、2009/10年のシーズンで(第10番を含めた)全集が完結する予定であり、現在は第3番までが録音済みとのことです(*注2)。

さて、以下に感想を書きます(なおこのディスクはSACDハイブリッド仕様ですが、当方はSACDプレーヤーを所有していないので、CD層での試聴です)。・・・ここまで「聴いて幸せな気分になれる」第1番のディスクはそうそうないと思われます。

チューリヒ・トーンハレ管の、ふくよかで暖かみがあり、かつしなやか、それでいて明瞭な発音を伴った音色が素晴らしい。いかなる場面でも力を入れて叫ぶようなことはありません(終楽章のトランペットの最高音においてすら余裕が感じられるのは驚きです)。強いて言えば第2楽章冒頭の低弦の出だしにやや力みが・・・という感じはありますが、それは「重箱の隅をつつく」ようなものでしょう。「音の出しはじめと出し終わり、およびひとつの音から次の音への移り方がうまい。切り口がささくれ立ったりするようなことがない」ということも、自分で楽器を弾く者として強く感じました。アンサンブルも良好。高度でありながら「きっちり合わせている」ことを聴き手に意識させない自然さがあります。

ジンマンの指揮は各楽器間の音量、音色のバランスを、曲のいかなる場面においても実に巧みに、かつ自然にコントロールすることに成功しています。彼はマーラーの演奏においては作曲者の音響上の意図を忠実に再現するべく、楽器の空間的配置に格別の考慮を払うそうですが(この録音においても第2ヴァイオリンの対向配置、2組のティンパニの両翼配置が実践されています)、この録音の、あらゆるパートが過不足なく聞こえ、立体感をも感じさせるような音響バランスを可能にした最大の要因は何よりもジンマンの「良い耳」であろうとぼくは思います。

演奏は始めから終わりまで、一貫した節度を保った自然な抑揚を伴って進行します。我を忘れて突進したり、周りの光景に眼を塞ぎ自分だけの感情に沈潜したり、という様相を見せる箇所はほぼ皆無です。例えて言えば、とてもよい声を持った吟遊詩人が歌い奏でる一篇のメルヘンを聴くような感じでしょうか。マーラーの交響曲に常に何らかの「切実さ」を求めるような方にはいささかこの演奏は微温的に響くかもしれませんが、この曲そのものが持つ性格から判断すればジンマンの演奏には充分に説得力があり、必要にして充分なだけの「雄弁さ」も兼ね備えているように思います。

併録された「花の章」も、上記のようなジンマン/チューリヒ・トーンハレ菅の音楽的美質が十全に発揮された好演となっており、ややもすればただ退屈な演奏になりがちなこの音楽を、色彩感に富んだ一幅の音画として提示することに成功しています。

*注1 ジンマンは1936年7月の生まれ、一方この「交響曲第1番」の録音は2006年2月です。
*注2 ブックレットには「2006年10月に『第4番』の演奏が行なわれる」と記載されているので、もしかすると「第4番」も録音済みかもしれません。
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2007年02月10日

J.S.バッハ : 無伴奏チェロ組曲全曲 E.マイナルディ(Vc)

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J.S.バッハ(1685-1750) : 無伴奏チェロ組曲(全曲)

エンリコ・マイナルディ(チェロ)

国内盤:タワーレコード(原盤:アルヒーフ) PROA-59/61

タワーレコードとユニバーサルミュージックの共同企画による隠れた名盤の復刻シリーズ「タワーレコード・ヴィンテージ・コレクション」の第3弾として発売された数点のディスクの中の一点です。タワーのみの限定販売となっていますが、徳島にはタワーの店舗がないので、もっとも手近にある愛媛県新居浜市の店舗まで出向いて購入してきました。

エンリコ・マイナルディは(解説書によると)1897年ミラノに生まれ、1976年ミュンヘンで没したイタリアのチェリストです。彼の弟子の中には以前そのDVDを紹介したミクローシュ・ペレーニがいます。このチェリストの残した「無伴奏」の全曲録音では1963-64年にドイツのオイロディスクというレーベルから出た盤が有名で、1954-55年にアルヒーフに録音されたこのモノラル録音による全曲盤は、一部の愛好家以外にはほとんどその存在を知られることがなかったディスクであるそうです。日本国内では今回の復刻が初出となります。

全体的に非常にゆったりとしたテンポを採用しており、演奏時間が長いため、このディスクは3枚組になっています。番号順に収録されたディスクの1枚目をかけたとき、最初に聞こえてくるのは、驚くほど素朴な音色のプレリュードです。最初はそのあまりにも飾り気のない音色に多少の違和感を感じましたが、表現は非常に練りこまれているので、聴き進めていくうちに気にならなくなりました。テンポがあまりにもゆったりとしているために若干音楽の推進力が損なわれているかも、という箇所もないではないのですが、それも演奏を楽しむ上での大きな欠点とまではなっていません。

ひと通り聴いてみて一番心に残ったのが、第6番のプレリュードでした。高貴な光をたたえた音が絶妙に絡み合いながらゆったりと漂い、青空に溶けていくような演奏がすばらしい。ぼくの愛聴盤であるフルニエ盤(フィリップス)では、孤独で高貴な魂が険しい岩山にハーケンを打ち込みながら一歩一歩よじ登っていくかのような印象を持ちましたが、この演奏はそれとはまた違った良さを持っています。

最後に・・・個人的に思うのですが、このディスクは「実際にチェロを学んでいる人(プロアマ問わず)」にとって、非常に価値のあるディスクではないかと思います。というのも、「ここまでゆったり、楽な気持ちで弾いてもちゃんと曲になるんだ」ということ、つまりチェロを弾く上での「身体と精神のリラックスの大切さ」を、このディスクは教えてくれるからです。
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2007年01月21日

「のだめ」ファンの方々、ぜひこの曲もどうぞ。

今頃「のだめカンタービレ」の単行本を買って読みました。と言っても現在まだ16巻出ているうちの4巻までですが。

ドラマになったり、アニメになったり、この漫画の名を冠したコンサートが開かれたりとかなりな人気のようで、関連ディスクもたくさん出ていますね。ドラマのサントラやら、作品中で取り上げられているクラシックの曲を集めたものとか。

でも・・・目につく限りの「のだめ」関連ディスクの情報をチェックしてみたのですが、単行本4巻の後半でヒロインの「のだめ(野田恵)」が超人的な仕方でマスターしてしまった(それだけでなくブラインド演奏で世界的な名演奏家を驚嘆させた)「あの曲」を収録したものはないようです。その曲が含まれているディスクのひとつがこれ。
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ベーラ・バルトーク(1881-1945) : ピアノ作品集

アレグロ・バルバロ Sz.49
民謡による3つのロンド Sz.84
3つのハンガリー民謡 Sz.35a
組曲 作品14 Sz.62
ピアノ・ソナタ Sz.80
ルーマニア民俗舞曲 Sz.56
古い踊りの歌〜15のハンガリー農民歌 Sz.71より

ゾルタン・コチシュ(ピアノ)

国内盤 : DENON
    (発売元:コロムビアミュージックエンタテインメント)
     COCO-70449

このなかの「組曲 作品14 Sz.62」が、のだめの弾いた曲です。まあ確かにこの作品のファンに向けた関連商品としてのディスクに収録するにはいささか、いやかなり「異色」と言わざるを得ない曲なのですが・・・曲そのものはバルトークというこの(クラシック界では非常に有名な)ハンガリーの作曲家のなかでも「傑作」の部類に入る名曲です。と同時に、俊敏で揺るぎのないテクニックや、民俗音楽の要素を(彼独自の仕方で)取り込んだ作品の持つ独特のリズム感に対する適応力が必要とされる難曲でもあります。ぼくは漫画を読んだ後でふと思い出して以前買ったこのディスクを聴き直し、「のだめスゲエ」などと勝手に思ってしまいました。

手持ちのディスクにはもうひとつ、イェネ・ヤンドーという人による同じ曲の演奏が含まれた盤(ナクソス)があるのですが、表現の「キレ」、スリルあふれる弾き方、音色の磨き方、それらすべての面においてこのゾルタン・コチシュの演奏した盤のほうが上回っているようにぼくは思います。

「組曲 作品14 Sz.62」は趣向の異なる4つの短い曲を集めたもので、全体でも10分足らずの短い曲です。また今回紹介したこのディスクは、全体としてバルトークという作曲家の個性を感じ取るうえで、格好の入門となるディスクとなっています。「のだめ」のファンの方々には、ぜひこのディスクを聴いて、のだめの凄さと作曲家バルトークの個性を感じ取っていただきたい・・・できれば・・・と思います。値段も安い(税込1050円)ですし。
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2006年09月08日

アルヴェーン : 祝典序曲他 ヴィレン/RSNO (Naxos)

秋篠宮妃紀子さま、男のお子さまご出産(産経新聞)

仕事で帰宅できなかったためはなはだ遅くなってしまいましたが、親王殿下のご誕生を日本人のひとりとしてお慶び申し上げたいと思います。

さて、yurikamomeさんが親王殿下のご誕生をお祝いするにうってつけの曲をご自分のブログで取り上げておられたので、ぼくもそれに便乗してみようかと思ったのですが、なにぶん当人の性格がガサツであるせいか、上品で典雅で喜ばしい曲、という方向ではなかなか思いつかず、結局最初に思いついたこの曲を取り上げることにしました。
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フーゴー・アルヴェーン (1872-1960) :
祝典序曲 op.25
バレエ組曲「山の王」op.37
ウプサラ狂詩曲op.24 (スウェーデン狂詩曲 第2番)
交響曲第1番 へ短調 op.7

ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
指揮 : ニクラス・ヴィレン

輸入盤 : NAXOS 8.553962

この記事で本題にしたいのは「祝典序曲」です。大オーケストラが豪快に3拍子のポロネーズのリズムを踏みしめながらのしのしと歩を進めます。率直に言えば親王殿下のご生誕を言祝ぐ音楽としては少々ウルサイかもしれません。でも個人的に大好きな曲なので取り上げてみました。当盤の解説にも、

"The Festspel(Festive Overture) has now long been used as official music at a multitude of solemn occations in Sweden."

とあるので、あながちスカタンな選曲ではない・・・と自己弁護しておきます。

このディスクに収録された他のいくつかの曲も、色彩感と旋律のアイディアに富み、かつ聴きやすく楽しめる佳曲であり、本質的に「管弦楽の人」であったアルヴェーンの音楽の特質を十分に伝えるディスクとなっています。
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2006年08月27日

R・シューマン : 弦楽四重奏曲全集 クイケンQ (仏ARCANA)

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ローベルト・シューマン(1810-1856) :
弦楽四重奏曲全集
(第1番イ短調作品41-1
第2番ヘ長調作品41-2
第3番イ長調作品41-3)

クイケン四重奏団

輸入盤 : 仏ARCANA A326)

ハイドンやモーツァルトの作品において、ピリオド楽器による卓越した演奏水準を誇るクイケン四重奏団が、ロマン派の作曲家であるローベルト・シューマンの弦楽四重奏曲を演奏したディスクです。「え、クイケンがロマン派?」と興味を惹かれて買ってみたのですが、「弾いてみました」という水準にとどまらず、「ピリオド楽器でなければ」そして「クイケンでなければ」為し得ないのではないか、と言ってもよいくらい、独自の魅力を持ち、かつ技術的にも申し分のない、すぐれた演奏であると思います。

第1番イ短調の冒頭、ヴァイオリンが奏でる穏やかな祈りのような序奏の旋律を耳にすれば、聴き手はこれから眼の前に現出するシューマンの音楽世界に自然に誘われます。クイケン四重奏団の音色は、角ばったところがなく、非常にデリケート。シューマンの音楽に頻出する微妙な色彩の変化を的確に表現するにふさわしい音色であると思いました。

もちろんクイケンをクイケンたらしめているのは、ただ「ピリオド楽器を使っている」ということではありません。モダン楽器に比べて扱いが難しいとされるこの種の楽器を弾きこなす卓越した技量、およびシンプルでかつ説得力のある「曲全体への見通しの立て方」これらこそが彼らの演奏を特徴づけているとぼくは思います。

さて・・・いままでぼくはクイケン四重奏団の演奏をデノンのディスクでしか聴いたことがありませんでしたが、今回このARCANA盤を聴いてみて、ふたつのレーベルの録音のスタンスの違いによる音の違いを、実に興味深く思いました。曲の違いもあるのかもしれませんが、デノンの録音は全体的に端正で、高音域がクリアー。対してアルカナの録音は、デノンよりマイクが近い感じで、直接音の成分がより多く含まれており、音域もデノンより低音部の厚みがあるように感じました。

(2006.09.01追記)この記事を書いたあとでデノン盤「モーツァルト/ハイドン・セット第3巻」(1992年録音、COCO-70686)とこのアルカナ盤のジャケットを見比べていると、メンバーのクレジットが違っていることに気がつきました。第一ヴァイオリンのシギスヴァルト・クイケンとチェロのヴィーラント・クイケンは双方同じなのですが、

第二ヴァイオリン
デノン盤・・・フランソワ・フェルナンデス
アルカナ盤・・・ヴェロニカ・クイケン

ヴィオラ
デノン盤・・・マーレーン・ティアース
アルカナ盤・・・サラ・クイケン

となっています。少し調べてみたところ、ヴェロニカ嬢はヴィーラント氏の娘で、サラ嬢はシギスヴァルト氏の娘だということです。まったく同じ団体であるという誤った認識の下に記事を書いてしまいました。申しわけありません。

また楽器についても、デノン盤のクレジットでは、

>Sigiswald Kuijken, violin[Giovanni Grancino, Milano, ca. 1700]
>Francois Fernandez, violin[francois Bodart, after Stradivari, 1989]
>Marleen Thiers, viola[anonymus, North-Italy, end 17th century]
>Wieland Kuijken, violoncello[attributed to Andrea Amati, Cremona, ca.1570]

となっているのに対し、アルカナ盤のクレジットを見てみると、

>SIGISWALD, violon Franciscus Bovis, Nice 1899
>VERONICA, violon Pirot 1804
>SARA, alto anonyme fin XVIIIe si`ecle
>WIELAND, violoncelle Filip Kuijken, 1999

とあるので、いわゆる「ピリオド楽器での演奏」とは言えないかもしれません。聴いているとビブラートの使用が抑制的であるようにも思えるので、「古楽器的な奏法」を演奏の全体もしくは一部分で採用している可能性は高いと思うのですが。

以上、事実の認識に誤りはありましたが、親密で心地よい雰囲気が感じられ、かつ的確な音楽の構成に対する見通しを備えた優れた演奏であるというぼくの感想に変わりはありません。

参考 : 「クイケン弦楽四重奏団によるシューマンの弦楽四重奏曲全3曲」
(加藤幸弘さんのサイト「Classical CD Information & Reviews」内の記事です)

また、アルカナ盤でヴィーラント氏が使用しているチェロの製作者のフィリップ・クイケン氏は現在日本で工房を構えているそうです。

弦楽器製作修理 フィリップ・クイケン (Filip KUIJKEN)
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2006年03月25日

マーラー : 交響曲「大地の歌」 ワルター/VPO他 (Decca)

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グスタフ・マーラー (1860-1911) : 交響曲「大地の歌」

ユリウス・パツァーク(テノール)
キャスリーン・フェリアー(コントラルト)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 : プルーノ・ワルター

当方所有盤・・・輸入盤 英Decca 466 576-2
現行国内盤・・・デッカ(ロンドン) POCL-4491
現行輸入盤・・・英Decca 466 576-2
          Naxos 8.110871

今日の徳島は穏やかな早春の日和。快晴。眼と心に染み入るような青空で
ありました。

・・・こういう空を眺めることができたとき、いつも口をついて出てくるのが、
マーラーの交響曲「大地の歌」の第1楽章「現世の悲しみを歌う酒宴の歌」
(Das Trinklied vom Jammer der Erde)の中間部のあの歌詞です。

Das Firmament blaut ewig, und die Erde
Wird lange fest steh'n und aufbluehn im Lenz.
Du aber, Mensch, wie lange lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst die ergoetzen
An all dem morschen Tande dieser Erde!

(天は永遠に青みわたり、大地はゆるぎなく立って、春くれば花咲く。
だけど人間はどれだけ生きられるというのだ? 許されているのは、
百年に満たぬ歳月、この世のはかないなぐさみに興じることだけ。)

(上の日本語訳(楽章タイトル含む)はクレンペラー/フィルハーモニア管の
盤(EMI)
の解説に収められた西野茂雄氏の訳に拠ります)

歌詞の内容はこの世の儚さを嘆くもの。ですがこの歌詞を口ずさむとき、
ぼくの気持ちがネガティブなほうに向いているかといえば、実は決して
そんなことはありません。むしろ「安心する」というか、「気持ちが楽に
なる」というか、どちらかといえば「ポジティブ」な気分になります。
このことは自分でも不思議に思っていることなのですが。
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2006年03月11日

J.S.バッハ : 無伴奏チェロ組曲全曲 ペレーニ(Vc) (Hungaroton・DVD)

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J.S.バッハ (1685-1750) :
無伴奏チェロ組曲(全6曲)

ミクローシュ・ペレーニ (チェロ)

輸入盤 : ハンガリーHungaroton HDVD32421

ハンガリーの名チェリスト、ミクローシュ・ペレーニによるバッハの無伴奏全曲の
DVDが発売されたことをレコード芸術の記事で知り、さっそく入手してひととおり
視聴してみました。レコ芸の記事(06年3月号168ページ)によると、1996年に
ハンガリー放送によって収録された映像であるということです。

はあ・・・スゴい技術だ・・・圧倒されます。一体どうすればここまで的確に、
滑らかに、無駄なく、ラクに動けるのでしょうか。ぼくがとりあえず見つけた
「盗むポイント」は、

(1)どの弦に移るときも腕を十分に動かして移弦し、指、手の本体、手首の形は
  変わらない。
(2)どの弦を弾くときも、左手の手首は出たり引っ込んだりしない。同じ
  ポジションでは腕の肘から先の部分と手の関係はいつも同じ。

のふたつ。・・・基本ですね。上級者であればより高度な技術上のポイントを
指摘することも出来るのでしょうが、今のぼくのレベルではこのふたつの
ポイント以外は「うーむ・・・よく分からんが理に適った動きが積み重なって
いるんだろうねえ」としか言いようがなかったりします。

チェロ・ピッコロではなく普通のチェロをそのまま使って演奏される「第6番」
などは、もう眼を見張るような技巧の嵐。それでいて出てくる音は何の特別な
ことも行っていないような、「さりげなさ」すら感じる音。参りました。

もちろん演奏の内容も素晴らしい。余分な力の一切かからない、何気ない
弾きぶりから紡ぎだされる、飾るところのない色合いの音色が、みるみるうちに
高貴で精妙な音の建築を築き上げていく様は、何か不思議なものを見ているかの
ようです。音の録り方は残響の少ない、いわゆる「デッド」な音質の録音ですが、
演奏の特徴はしっかりと捉えられており、むしろここでのペレーニのような
「飾るところのない」演奏にはこのような録音がふさわしいのではないかとすら
感じることが出来ます。

世の大家による「無伴奏」の録音をいろいろ聴いてみると、演奏の中にそれぞれの
演奏家の音楽観、別の言葉で言えば「個性」のようなものが刻印されている様子を
しばしば聴き取ることができるように思います。もちろんそれらも立派な「バッハの
音楽」たりえているのですが、ペレーニの弾きぶりはどちらかと言うと、奏者自身の
音楽観を前面に出すことは控え、バッハの「語り」に静かな心持ちで耳を傾けている
かのような「素直さ」が伺えるように思います(もちろんそれを彼の特性あるいは
個性と考えることもできますが)。演奏中しばしばペレーニは満足したような微笑を
浮かべています。バッハの声が聞こえたかのような、心が通じあったかのような
その微笑はとてもステキです。

さて・・・明日の練習からはペレーニの真似をして・・・上体を揺らしてみるか。
もっともらしく動いてみたらちょっとは感触が違うかもしれない。ただの自己満足で
終わる可能性も大ですが。
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2006年02月25日

ベートーヴェン : チェロとピアノのための作品全集 ケンプ(Pf) フルニエ(Vc)

dg_453_013-2
ベートーヴェン (1770-1827) :
チェロ・ソナタ第1番〜第5番
『魔笛』の主題による7つの変奏曲
『魔笛』の主題による12の変奏曲
『マカベウスのユダ』による12の変奏曲

ヴィルヘルム・ケンプ (ピアノ)
ピエール・フルニエ (チェロ)

輸入盤 : 独Deutsche Grammophon 453 013-2 (2枚組)
国内盤 : ドイツ・グラモフォン POCG‐3920 (2枚組)

以前ここで紹介したDGのフルニエのボックスセットの中に収録されていない演奏を
補完するべく、4点5枚のディスクを入手しました。今回紹介するディスクはそのなかの
一枚です。ぼくが入手したのは輸入盤のほうです。タワーレコードのサイトでの
検索では同内容の国内盤もヒットしたのでその番号も記しておきましたが、国内盤の
入手の可否についてはぼくには分かりかねます。その点はご容赦を。

今月号(06年3月号)のレコード芸術で高橋昭氏が、1954年11月9日に日比谷公会堂で
一度だけ開かれたケンプとフルニエのデュオ・コンサートを聴かれたときの感激を
語っておられます。文中で氏が「それを聴いていただくと、そのとき私が受けた
印象をおわかりいただけると思います」として挙げておられるのがこのディスクです。
ちょうどタイミングもよいので、レコ芸の記事に便乗してこのディスクの感想を
書いてみたいと思います。

なおこのディスクには「1965年2月、パリ、サル・プレイエル」での録音(ライヴ)と
クレジットされています。日比谷公会堂での模様を録音したものではありません。
以上、念のために記しておきます。

さて、感想ですが・・・実はなかなか言葉が浮かばないのですよ。これほどまでに
「聴き惚れてしまうような」演奏に対しては・・・きわめて高いレベルでの音楽的な
「調和」、としか書きようがないような気もします。

ちょっとだけ試してみましょうか・・・。

様式感はきちんと確立されているが、堅苦しくはない。
重心は低いが、重苦しくはない。
流れはあるが、表面的ではない。
深みはあるが、澱んではいない。
ピアノもチェロも、隅々まで神経の行き渡った演奏を展開しているが、決して
どちらか一方が他を無視して突き進むことがない。

ううむ・・・上手く言えませんね・・・もうやめましょう。

ケンプの包容力、フルニエの気品。
そしてこれらふたりの一級の演奏家の息の合った二重奏によって聴き手の眼前に
紡がれるベートーヴェンの音楽の世界。「素晴らしい」の一言です。好みの
違いからファースト・チョイスには挙げられない方もおられるかもしれませんが、
音楽的な内容の充実度は間違いなく「名盤」と呼んでよい水準に達していると
ぼくは思います。

このディスクは録音も面白い。かなり長いホールの残響を、細工をせずに素直に
取り込んでおり、ケンプのピアノ、フルニエのチェロの音色がホールの空間を
充たしていくさまがはっきり聴き取れます。昔のライヴ盤とはいえ、DGにしてはやや
珍しい傾向の録音ではないかと思われますが、いずれにせよ「演奏でも録音でも
良い気持ちにさせてくれる、楽しませてくれる」ディスクであることには違いが
ありません。
posted by とりぷる at 22:20| Comment(2) | TrackBack(0) | ディスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

ドビュッシー、ラヴェル : 弦楽四重奏曲 エマーソンSQ (DG)

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クロード・ドビュッシー : 弦楽四重奏曲 ト短調 作品10
モーリス・ラヴェル : 弦楽四重奏曲 ヘ長調

エマーソン弦楽四重奏団

国内盤 : ドイツ・グラモフォン UCCG-4136

ユニバーサル・クラシックスの「スタンダード・コレクション」のなかの一枚として
最近再発売されたディスクです。ドビュッシー/ラヴェルの弦楽四重奏曲のディスクの
手持ちはナクソスのもの1枚だけで、しかもあまり曲を聴きこんだということもなかった
ため、今回手頃な値段で再発売されたこのエマーソン弦楽四重奏団のディスクを買って
聴いてみました。

これらの曲の成立事情については、「music diary」さんが詳しく書かれておられるので、
そちらを参照していただければよろしいかと思います。(shogoさん、丸投げスイマセン)

聴いてみてまず印象に残ったのが、音楽そのものをして自由に語らしめているかの
ような自然な抑揚です。奏者の「我」が顔をのぞかせることがない。非常に高度、
かつ精緻な奏法やアンサンブルのコントロールがなされていることは容易に見て
とれますが、聴き手はそれをほとんど意識することなく、音楽そのものの極上の
肌触りに身を委ねることができます。

彼らの演奏は、作曲年代や様式の上での類似性といった理由で(もちろん収録時間が
ちょうどよいという理由もあるでしょうが)音盤においてしばしば「ニコイチ」のように
扱われるこれら2曲の弦楽四重奏曲がそれぞれに持つ「独自の個性」をも表現し得て
いるようにぼくは思いました。

ドビュッシーのほうは、「どこまでも精緻で、人知の理解の及ぶ範囲をはるかに超える
奥行きと内実を持った『自然』という芸術作品が、われわれに対して無限の表情や
陰影を見せるさまを、巨視的かつ微視的に音楽にしたような曲」、一方ラヴェルは
「ドビュッシーよりももう少し人間的な感情のほうに寄り添った、市井の人々の
哀歓を丁寧にすくい上げたような曲」(冒頭の主題はなんだかゴキゲンな鼻歌のよう、
などと書いたら笑われるでしょうか)・・・ぼくが感じたふたつの曲の「性格の違い」を、
どうにか言葉で表そうとすると、そのような表現になります。

ついでに書いておきますと、このディスクはジャケットに使われた絵も非常に興味深い。
どこかの街中の広場を、周りの建物の3階か4階あたりから眺めた光景でしょうか。
周囲の石畳より一段高くなった円形の地面の中心と東西南北(?)に街灯が立てられて
いる。円い部分には二人の男性の姿が描かれている。地面には右上方向に伸びる街灯と
男性の影が、明らかに意識的に濃く描かれている。影の長さが短いところを見ると、
おそらく昼下がりであろう。円い部分の周囲の石畳を描く画家の筆跡は、光の降り注ぐ
向きをそのままなぞるかのように、左下から右上に向かっている・・・おそらく画家の
描きたかったものは、眼前の光景それ自体というよりも、その光景を浮かび上がらせる
光、それも太陽から降り注ぐ光だけではなく、周囲の建物や石畳からの反射も(あるいは
もしかすると人物を浮かび上がらせる光をも)合わさった光だったのではないでしょうか。
ドビュッシーとラヴェルという二人の作曲家の弦楽四重奏曲のディスクを飾る絵としては
非常に相応しく、制作者のセンスの良さを感じます。
posted by とりぷる at 23:59| Comment(3) | TrackBack(1) | ディスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月30日

「チェロの貴公子 ピエール・フルニエ」 (DG)

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「チェロの貴公子 ピエール・フルニエ」
(Pierre Fournier - Aristocrat of the Cello)

輸入盤 : 独 Deutsche Grammophon
      00289 477 5939 (6枚組)

フランスの名チェリスト、ピエール・フルニエのドイツ・グラモフォンへの録音を
集めた6枚組のボックス・セットです。過去に未発売の録音はチャイコフスキーの
小品"Pezzo capriccioso"のみですが、オリジナルのマスターテープから制作したと
いう点がウリになっています。収録曲一覧はこちら(ボックスの裏面です)。

年明けからひととおり、何度か繰り返して聴いていました。やっぱりフルニエの
チェロは「かっこいい」。収録された曲目の中から最高水準のものを選べと
言われれば、やはりベルリン・フィルをバックに演奏したドヴォルザークとエルガーの
協奏曲になるでしょう(CD3)。他の録音と比較しても格段に集中力が高く、また
フルニエの音色に備わる独特の気品、風格、および格調の高さが、曲そのものが持つ
美しさと渾然一体となった名演であると思います。

その次によいと思ったのが、順不同で、CD4に収録されたブラームスの2曲のソナタ、
CD6の小品集(つい先日国内盤でも再発されました。限定ですが・・・)、そして
シューマンの3曲の小品です(CD5に2曲、CD6に1曲)。

ブラームスのソナタでは、出だしから「あ、フルニエの音だ」と思うくらいに、
ブラームスの音楽よりもフルニエの音楽的個性のほうをより強く感じます。つまり
上のドヴォルザークやエルガーほどには「曲の美質と演奏者のそれが一体となった」
という印象はありません。しかしフルニエがブラームスの音楽の特質を大事にし、
それを損ねないようにしながらみずからの芸風を存分に発揮していることは、
一聴すれば直ちに気づくことができるように思います。「ブラームスを聴く」
というより「フルニエを聴く」要素の強い演奏ではありますが、聴き逃すことの
できない演奏であることは確かだと思います。

小品集はフルニエの「技」が凝縮された一枚。こういう技巧的小品を弾くと、
フルニエは実に上手い。しかも上に書いた彼の特質、すなわち「格調の高さ・
気品」は技巧的な難曲においても一貫して保たれており、それがこの小品集の
独自の存在価値になっているように思います。技巧だけならこの録音でのフルニエより
達者な現代のチェリストはおそらく何人もいるでしょう。しかしフルニエのような
「芸格の高さ」を感じさせてくれるチェリストはどれほどいるでしょうか。

シューマンの3曲の小品を聴くと、もしかするとフルニエがもっとも得意にしたのは
シューマンではないだろうか、などと考えてしまいます。というのは、もともと
卓越した表現力を持っているフルニエですが、これらのシューマンの小品においては、
他の曲に見られる以上に融通無碍な、音色・音量・タッチ・テンポのコントロールが
見られ、それらがすべて音楽の生命力・躍動感を引き出す効果をあげているからです
(そういえば以前紹介したこのDVDに収録された協奏曲も非常にすぐれた演奏でした)。

一方で、「あれ?」と少し首を傾げたものもあります。これも順不同で挙げれば、
ハイドンの協奏曲第1番、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタ、およびショパンの
ソナタです。

ハイドンでは、フルニエには珍しく、演奏に硬さが見られます。持ち直すところも
あるのですが、全体としてどこか肩に力の入ったような、彼にしては流れの良くない
演奏になってしまっているように思います。

シューベルトでは、歌いだしはデリケートではありますが、彼にしてはやや音色の
伸びやかさと深みに欠けます。少なくとも第1楽章に関しては、思い入れたっぷりで
力強さも感じられるトルトゥリエの演奏のほうをより評価したい気持ちです(ちなみに
フルニエは提示部を反復していないのに対して、トルトゥリエは反復を行っています。
これを「曲への思い入れの違い」と解釈するのは行き過ぎでしょうか)。しかし・・・
ここが困るところなのですが、2楽章から3楽章にかけてはフルニエのほうが
好ましいように思えるのです。第3楽章の穏やかな長調のメロディーを、フルニエは
中庸の節度を保ち、崩れることのない技巧を保ちながら弾き切っていますが、
トルトゥリエのほうでは、冒頭楽章から思い入れたっぷりに弾き続けてきた結果、
第3楽章では、言い方は悪いのですがやや「ガス欠」を起こしているような感が
あるからです。破綻しているわけではないのですが、音楽の流れにはあまり
そぐわないテンポの揺れや細かい部分での多少の音の震えが見られます。

ショパンでは、これはもしかすると曲のほうにも原因があるかもしれませんが、
やや音楽の運びがルーチンになっていて、音色やタッチの変化にもやや乏しく、
生き生きとした生命力のある音楽の流れを生み出すまでには至っていないように
思います。もしかするとフルニエというチェリストは、曲によって得意・不得意が
はっきり分かれるタイプの演奏家なのかな・・・とも思います。もちろんほとんどの
演奏では一定水準以上のレベルには達しており、それを前提にしての・・・という
話ではありますが。

あと少し付け足すところとしては・・・CD1のバロックの協奏曲集について。
演奏はフルニエのソロも伴奏のオーケストラも完全に旧式のスタイルで、最近の
演奏を聴きなれた耳にはやや古めかしく聞こえます。そしてオーケストラの
演奏水準は、正直言ってさほど高度だと思えるほどのものではありません。・・・
ですがフルニエのチェロだけは、やや時代を感じさせる演奏スタイルながら、
とてつもなく「立派」であります。ちょっと全体的な評価には困る演奏では
ありますが、フルニエの音を聴く、という一点に目的を絞れば、確実に一聴の
価値はある演奏であると思います。

最後にちょっとばかり私事を。大学を卒業して帰省してから、2年ちょっと前に
再びチェロを手に取るようになるまでは、正直言ってチェロのソロアルバムを
聴く気があまり起きませんでした。チェロを完全にやめてしまいたいとは
思わない、けれどもまた弾き始めるきっかけもつかめない・・・こうした状況の
中でチェロのソロが入った曲を聴いたりすると、「どうして弾いてくれないのか」
と自分のチェロから責められているような気がして・・・いや、これはあまりにも
個人的な話ですね。もうこのへんにしときます。

(2006.02.06追記)・・・とまあ、全体としてはわりと満足できるボックスセットだと思って
いたのですが、ちょっと検索をしてみると・・・DGにはまだこんなイイ録音があるじゃ
ないですか! なんでこれを入れないかなあ・・・この録音の存在を知ってしまっては、
ボックスセットの評価もだいぶ低下してしまいますな。

しっかりして下さいよ、ユニバーサルさん・・・。

(さらに追記)・・・と書いたけど、まだあった。現にボックスに収録されたものより
重要そうなものもたくさんあるような・・・調べれば調べるほど中途半端なボックスだと
いうことが分かってしまいます。輸入盤で生きていることを期待して、注文を出して
みます。まったくもう・・・。
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2006年01月01日

ワルトトイフェル : ワルツ集 ドミニク・ミイ(pf) (仏Accord)

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エミール・ワルトトイフェル(1837-1915) : ワルツ集
(「スケーターズ・ワルツ」「夏の夜」「花のワルツ」
「恋はひとすじに」他、全9曲)

ドミニク・ミイ(ピアノ)

輸入盤 : 仏Accord 472 924-2

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年が皆様にとって実り多き年でありますように。

さて、今年最初の記事で、ウィンナワルツではなくフランスのワルツを紹介しようと
するアマノジャクなぼくであります(VPOのニューイヤーも練習をしながらちらちら
観ました。チェロのスピッカート上手いよ〜。悲しくなるくらい)。このディスクは
以前京都に行ったときに大量にワゴンから捕獲したディスクのなかの一枚です。

エミール・ワルトトイフェルは、1873年に生まれ1915年に没した、アルザス地方出身の
フランスの作曲家です。19世紀末に一世を風靡した彼の音楽は、その晩年には
印象派などの新しい潮流に押され「アナクロニズム」のレッテルを貼られてしまいますが、
「スケーターズ・ワルツ」をはじめとするいくつかの作品は今でもしばしば演奏され、
その優美で和やか、かつ機知に富んだ音楽は現在でも人々を楽しませています。

さて、このディスクはオーケストラによる演奏ではなく、ピアノ・ソロによる演奏と
なっています。少し調べてみたのですが、ワルトトイフェルはまずピアノ曲として
作曲を行ってからそれをオーケストラ用に編曲することが多かったそうです(ちなみに
ラヴェルもそのような方法でオーケストラ曲を書くことがあったそうです)。
このディスクに収められた演奏は、そのような「オーケストラ版に先立って完成された
ピアノ版」を取り上げたものと考えてよさそうです。「よさそうです」と書いたのは、
ブックレットにはワルトイフェルの作曲や編曲の過程に関する記述がなく、また他所に
おいてもこのディスクに収録されている曲が上に書いたように「まずピアノ曲として
完成された」ことを証拠立てる資料が見つからなかったためです。しかしディスクを
実際に聴いてみた限りでは、いずれの曲もピアノ曲としてしっかりとした完成度を
有しており、オーケストラ版の「後に」作られたのではなくそれに「先立って」
書かれたと見るのがよりふさわしいように思われます。

このディスクの6曲めには、オッフェンバックの有名な「ホフマンの舟歌」の
メロディーが引用されていますが、その曲の名前は "Valse de la poup'ee" となって
います。直訳すれば「人形のワルツ」となるでしょうか(英国のグラモフォン誌の
レビュー記事でも "Doll Song" となっています)。「舟歌」がなにゆえ「人形のワルツ」
なのか? 疑問に思って調べてみたところ、以下のようなことが分かりました。

「舟歌」はもともとオッフェンバックの未完の歌劇『ホフマン物語』の第2幕の冒頭に
演奏される間奏曲に出てくるメロディーです。そして『ホフマン物語』は小説家
E.T.A.ホフマンの作品から三つの物語を取り出して脚色し、ホフマン自身を主人公と
して一篇のオペラに纏め上げられた作品ですが、その第2幕はホフマンがコッペリウスと
いう男から手に入れた眼鏡によって幻惑され、物理学者のスパランツァーニが作った
精巧な人形のオリンピアに恋してしまうという物語です。ワルトトイフェルはこのような
オペラの筋書きを念頭に置いた上で、「舟歌」を引用して書いた曲に「人形のワルツ」
というタイトルを付したものであると考えられます。

さて、話をディスクに戻します。
ドミニク・ミイのピアノの音色は、丸みのある柔和な音色とタッチを備えた、曲調に
ふさわしい音色であると言えると思います。テンポを自在に揺らす表現も実に堂に入って
いて、音楽の和やかな雰囲気を一層引き立てることに一役買っています。この記事を
書くべくこのディスクを今日一日繰り返し回していると、何か贅沢でかつ親密な
雰囲気のプライベート・コンサートに招かれているような、心地よい時間を過ごす
ことができました。

ドミニク・ミイは別のディスクでは、ワルトトイフェルの作品のオーケストラ版の
指揮も行っているようです。さしずめ「ワルトトイフェルのスペシャリスト」という
ところでしょうか。機会があればそちらのディスクも聴いてみたいものです。

参考 : エミール・ワルトトイフェル(Wikipedia)
    Emile Waldteufel - Composer's Biography (NAXOS.com (英文))
    英Gramophone誌レビュー(英文)
    ホフマン物語(Wikipedia)
    エミール・ワルトトイフェル : 忘れられたフランスのワルツの伝統(仏文・英文)
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2005年12月16日

R・シューマン : ピアノ三重奏曲全集 (独Arte Nova)

artenova_74321_63648_2.jpgローベルト・シューマン(1810-1856) : ピアノ三重奏曲全集

ビアノ三重奏曲 ニ短調 作品63
ピアノ三重奏曲 ヘ長調 作品80
ピアノ三重奏曲 ト短調 作品110
ピアノ三重奏曲 イ短調 作品88 「幻想的小品集」

トリオ・オーパス8
ミヒャエル・ハウバー(Michael Hauber)(ピアノ)
エックハルト・フィッシャー(Eckhard Fischer)(ヴァイオリン)
マリオ・ディ・セコンディ(Mario di Secondi)(チェロ)

輸入盤 : 独Arte Nova 74321 63648 2 (2枚組)

先日行きつけのお店の店頭で見つけたので買ってみました。これらの曲のような、
「わりと有名な作曲家の、意外な曲種、というほどではないが、実はあまり
注目されることがなく、自分もその曲の存在を知らなかった」という傾向を持つ
曲にぼくはとても興味を惹かれます。

何度か繰り返し聴いてみて、シューマンのこれら4曲の「ピアノ三重奏曲」が、
いずれも非常に「音楽的な純度の高い」曲である、との印象を得ることができました。
シューマンの音楽的美質の真骨頂が発揮されている、実にいい曲です。

外面的な演奏効果を狙った部分はなく、一聴して耳につく「キャッチフレーズ」的な
メロディーもほとんどありません。しかし、「浮き、沈み、たゆたい、流れ、さざめき、
きらめき、うねり、波打つ」というような、「水の流れ」を表す言葉によって
形容したくなるようなその音楽の運びの中には、音楽によるきわめて純度の高い
ロマン派的な情感の表出を見ることができるように思います。

シューマンという作曲家の音楽性にとっては、交響曲や弦楽四重奏曲といった
「構成力」「完成度」が一番に問われ、また一般的に音楽の聴き手の関心が向きやすい
「フォーマルな」曲種よりも、この「ピアノ三重奏曲」、あるいはピアノ独奏曲と
いった、より表現上の自由さがあり、またより「親密な」雰囲気を表現するに適した
曲種のほうがより適合しているように思います。とはいえそれぞれの曲を一篇の
「音楽的情景」にまとめ上げる作曲者の音楽的な構成力にはさすがに非凡なものを
感じます。音楽の屋台骨にそのような、目立たないながらも強靭な「筋」が一本
通っていることによって、上に書いたような「ロマン派的な情感の表出」がより
表情豊かに聴き手の耳に届くのでしょう。もしかすると曲種によって得手不得手の
ある「構成力」というものもあるのかもしれませんね。

こういう曲を聴くときには、いわゆる「大曲」を聴くときとはまた別種の「集中力」を
必要とするように思います。音楽のほうから聴き手に近寄ってくれるような性質は
これらの曲にはなく、聴き手のほうからその音楽に「分け入って」いく必要が
あるからです。単なるBGMとして聴いてしまえば「耳あたりの良い曲だねえ」という
通り一遍の感想で済んでしまいますが、じっくり腰を据えて聴き込む者には、
きわめて豊かな内実を持つ「音楽表現の世界」を垣間見させてくれる。今回紹介した
シューマンの4曲のピアノ三重奏曲は、まさにそのような曲であるように思います。

演奏はトリオ・オーパス8。ブックレットによれば1986年にデビューしたグループで
あるということです。写真をみると気のよさそうなアンちゃんの3人組で、フォーグラー
四重奏団
のメンバーのコワモテのオッサンぶりとは大違いですが、録音の日付が
「1997年6月」となっているので、現在はオーパス8のアンちゃんたちももう少し
オッサンらしくなっているかもしれません。

・・・まあそれはともかく彼らの演奏について。基本的には過大な色付けやテンポの
揺らしを排し、率直にかつ明快で、アンサンブルの精度にも取り立てて文句をつける
ところのない、若々しく鮮度の高い演奏であると思います。

録音も十分現代の水準に達し、演奏者の意図した表現をほぼ的確に伝えているように
思います。ただ一点だけ惜しいのは、録音場所の床が多少ヤワなのか、あるいは
マイクの設置方法に若干の問題があったのか、強奏時にピアノのペダリングに合わせて
「どん、どん」といった感じの低音の騒音が聞こえることがある、という点です。
まあ極端に気にするほどのものではありませんが、曲も演奏も録音もよいこのディスクに
あって、わずかに惜しい点ではあります。

付記 : 上の記事をアップしたあとでこれらの曲をGoogleやamazonで検索してみた
ところ、実はコンサートでは日本国内でもけっこう取り上げられており、ディスクも
それなりに出ていることが分かりました。記事では「あまり注目されていない」と
書きましたが、どうやらぼくが知らなかっただけのようですね。不明をお許しください。
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2005年11月27日

あやしい。

たまにはこんなディスクも・・・。

huntcd_726.jpg

マーラー : 交響曲第6番イ短調

サー・ジョン・バルビローリ指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

輸入盤 : 伊HUNT PRODUCTIONS HUNTCD 726

1969年1月22日、ロンドンでのライブ録音・・・だそうです、自己申告では。

「クラシック音楽のひとりごと」さんのこの記事を見て、ずっと前に買ったままで、
それ以来ずっと「積みCD」の一部になっていたあるディスクのことを思い出しました。
それがこのディスクです。聴いて面白ければ何かブログに書こうかな、と思いながら
ディスクをプレイヤーにセットしました。そして再生開始・・・

 「な ん じ ゃ こ の 音 質 は 。」

一言で言って、「安物の携帯ラジオのような音」。1969年なのにモノラル、音はちっとも
明瞭ではなく、ノイズも多く、DレンジもFレンジも貧弱、強奏部では派手にばりばりと
音割れ。バックでずっと聞こえているハムノイズのような音から判断すれば、もしかして
「エアチェック音源」というヤツか?

バルビローリのマーラー6番のディスクは、EMIから出ているニュー・フィルハーモニア
管弦楽団を振ったディスクが「1967年8月、ロンドン、キングスウェイ・ホール」での
録音、TESTAMENTから出ているベルリン・フィルを振ったディスクが「1966年1月13日、
ベルリン、フィルハーモニーホール」での録音。この2点のディスクとは表記された
録音時期が違っているし、そもそもこの2点のディスクを聴いたことがないので断言は
できないのですが・・・何かのクラシック音楽番組で、これらの盤のいずれかが
オンエアされたときにそれを録音した?・・・などという可能性まで考えてしまいます。
それに・・・もし中身が表記どおりのものだったにしても、ちゃんと権利関係は
クリアしているのでしょうか・・・。

中身がこのようなシロモノだったと分かってから改めてジャケットを眺めてみると・・・
いやあ、すごい手抜きですな。こんなジャケデザインでも裏には"ART DIRECTION"とか
"GRAPHIC DESIGN"などの担当者が記されているのですから苦笑するよりほかは
ありません。加えてジャケの裏面、普通の盤では何かしら解説の類が書かれているはずの
場所は・・・「真っ白」。実に鮮やか。

で、なおのこと腹を立たせる原因が、「演奏自体はそれほど悪くない」こと。
どうしてこんな音で出しちゃったの? せっかくの演奏なのに・・・。

確かに以前、仕事の都合で外泊したときに、携帯ラジオから流れてくる、かなり音が
割れ気味のシベリウスの第7交響曲のトロンボーンに、なぜかひどく感動した覚えが
あるけれど・・・あれはもとから媒体がラジオだったからそれでよかったのであって、
まさかCDで、しかも69年録音でこんな音が出てくるとは・・・。

・・・いや、捨てはしませんけどね。こんな変なディスクがあるというのも面白いから。
posted by とりぷる at 23:59| Comment(1) | TrackBack(1) | ディスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マッセ : 2台のチェロのためのソナタ集 (米Dorian)

dorian_dor-93222.jpg
ジャン・バティスト・マッセ (c.1700's-c.1757) :
2台のチェロのためのソナタ集第1巻(1736)
(ソナタ第1番〜第6番)

ブランディワイン・バロック
(ダクラス・マクナメス(Douglas McNames)(チェロ)
ヴィヴィアン・バートン(Vivian Barton)(チェロ)
カレン・フリント(Karen Flint)(チェンバロ))

輸入盤 : 米Dorian Recordings DOR-93222

こないだ京都・河原町三条のJEUGIA(ジュージヤ)で捕獲してきたワゴンCDのうちの
1枚です。

ジャン・バティスト・マッセ(Jean Baptiste Masse)はバロック期のフランスの作曲家・
チェロ奏者です。解説によれば、フランスのチェロ界の草分け的存在ではありますが、
経歴に関する資料が非常に乏しいため、その生涯については不明な点の非常に多い
人物であるとのこと。出版された譜面に記された年号や数少ない文献から、少なくとも
1736年から1757年の間にコメディ・フランセーズ(1680年にルイ14世によってパリに
設立された劇場。現在もフランスの国立劇場のひとつとして現存する)で働いていた
らしい・・・ということが分かっている程度であるそうです。

このディスクの解説および『新音楽辞典・楽語』(音楽之友社)によって当時の状況を
年表風にまとめてみると、次のようになります。

・16世紀頃 イタリアにてチェロが現れる。

・1640年代頃 前世紀に隆盛を誇ったヴィオラ・ダ・ガンバに取って代わるようになる。

・17世紀後半 イタリアから多くの名チェロ奏者が現れる。彼らはヨーロッパ各地への
 楽旅を通じて高度なチェロの演奏技術を広めた。

・17世紀終盤 独奏チェロのための作品が書かれ始める。最初の作品とされているのは
 ドメニコ・ガブリエリによる1675年の作品。

・1715年 ルイ14世の死去とともにフランスにおけるイタリア音楽禁止令が解除され、
 これ以後イタリアの音楽様式が再びフランスで大いに取り入れられるようになった。

・1730年代頃 それまで絶対数の少なかった独奏チェロのための作品が、フランスに
 おいて盛んに書かれるようになる。マッセのソナタもこの時期の作品。

・・・えー、資料が上記のふたつだけなので、ひょっとするとスカタンを書いているかも
しれません。ですので上の記述はあくまで参考程度にお考えください。

さて、前置きが長くなりましたが、ようやくディスクの中身の話に入ります。
一言で言ってしまうと、「うーむ、フレンチ・バロックはやっぱりええなあ」・・・
あまり頭のよさそうな感想でなくてスイマセン。洗練、優美、典雅。様式感はちゃんと
あるけれど、ドイツもののように硬い感じはあまりない。そして曲全体にそこはかとなく
漂う柔らかな情感がステキ。解説によれば「このソナタ集においてはイタリアの様式と
フランスの様式が実に精妙なやり方で融合されている」とのことですが、曲全体には
やはりフランス人の美的感覚が通底しているようにぼくには思われます。単にぼくが
様式の違いをよく知らないだけかもしれませんが。

演奏も素晴らしい。見るからに高度な演奏技巧が要求されそうなこのソナタ集を、
緊密な、しかし息苦しくはなく余裕ある息遣いが感じられる、要するに「息の合った」
アンサンブルによって聴かせてくれます。

あと興味深いと思ったのは、チェロの発音のさせ方。「主夫のチェロ日記」さんが
この記事で先生のお言葉として書かれている、

>「古い良い楽器などを弾くときは最初の発音だけで弾いたりもする。響くから
>それで十分弾ける。逆に発音が悪いとどんなに良い楽器を弾いても全然ならない。
>それくらい発音は重要」云々。

という指摘がそのまま当てはまりそうな音の出し方をしているように聞こえます。
ちなみにブックレットには、1番チェロのダグラス・マクナメスの楽器は「バラク・
ノーマン(Barak Norman)、1708年、ロンドン」、2番チェロのヴィヴィアン・バートンの
楽器は「無銘、ドイツ製、1740年頃の作」とあります。絶妙のタッチで、良質の
オールド(ヴィンテージ?)楽器が持つよい響きを最大限に生かす、見本のような演奏で
あると言えるように思います。
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2005年10月27日

メンデルスゾーン : 弦楽四重奏曲第1番、第4番他 フォーグラーQ (独Profil)

profil_ph4091.jpg
フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ
(1809-1847) :
弦楽四重奏曲第1番 変ホ長調 作品12
フーガ集(4曲)
弦楽四重奏曲第4番 ホ短調 作品44の2

フォーグラー四重奏団
(ティム・フォーグラー、フランク・ライネッケ(Vn)
シュテファン・フェーラント(Va) シュテファン・フォルク(Vc))

輸入盤 : 独Profil PH04091

メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は今まで聴いたことがなかったので、今回店頭で
見つけたこのディスクを買ってみました。そして・・・彼がこれほど激しい音楽を
書いていたことを初めて知りました。もう少し柔らかい曲想だと思っていたので、
ジャケ裏のフォーグラー四重奏団のメンバーのオッサンたちのやたらと眼光の鋭い
面構えはなんだか違和感があるなあ・・・という気がしたのですが、聴いて納得。
腕っこきのオッサンたちがばきばき弾いている様子が眼に浮かびます。

解説によると・・・メンデルスゾーンはすでに幼少の頃に、バッハを規範とする
管弦楽の技法を砂が水を吸うような驚くべき速さで身につけていた。そして1825年に
ベートーヴェンの「作品127」と「作品132」のふたつの弦楽四重奏曲が完成されたとき、
当時としてはあまりに先鋭的にすぎてほとんど理解されなかったこれらの曲の真価を
メンデルスゾーンはたちどころに見抜き、これらの曲を熱心に研究し、その技法の吸収に
努めたそうです。ここに収録された2曲の弦楽四重奏曲は、このような彼の研究と技法の
吸収の成果の一部であると言えるでしょう。

「第1番作品12」は上掲のベートーヴェンの2曲が書かれてから4年後の1829年の作品。
一方「第4番作品44の2」は「第1番」の作曲から15年ほど後、1837年から38年にかけて
作曲されたとのことです。解説には「若くして天才的な才能を開花させた人物は
往々にしてそこからの『伸びしろ』が少ない・・・彼の『第4番』にも『第1番』からの
様式上の進歩は見られず、依然としてベートーヴェンの強い影響下にある」という
やや厳しい指摘がある一方で、「語りかけるようなスタイル、より旋律的な美しさを
加えた音響、そして特徴的な雰囲気のゆらぎが、この作品をよりロマン派的な作品に
している」と、「第4番」の持つ独自の意義についても指摘されています。

実際に曲を聴いてみると、以上のような解説の説明にも納得が行きます。それと同時に、
ベートーヴェン的な感情の表出や劇的な表現が、バッハを規範とする複雑でかつ高度に
構築的な作曲技法によって追究されているこれらの曲は、われわれが慣れ親しんでいる
「いわゆる『ベートーヴェン的』な雰囲気」とはまた異なった容貌を持っているようにも
思います。

4つのフーガは、1821年に書かれたもので、メンデルスゾーンにあっては「習作」と
位置づけてよい曲であろうと思いますが、すでにこの時点で彼が、個性の表現には
到っていないものの、十分に高度な作曲の技法を習得していたことが分かります。

最後にフォーグラー四重奏団の演奏に関してぼくが感じた特徴について。音色は派手さや
甘さのない「質実剛健」といった趣。特筆すべきなのは、この音色が奏者間で極めて
高いレベルにまで統一されており、しかも演奏中にこの音色のコントロールが失われる
ような場面がほとんど見られない、という点です。全楽器による最強音のアタックが
これほど濁らず、飽和せず、中身の詰まった充実した響きとして聴き手にガツンと
迫ってくる演奏には、もしかするとあまり出会えることはないのではないでしょうか。
「音色の統一」の重要性、またその威力を思い知らされます。

またメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は、バッハをいわば「下敷き」にしていることも
あって、複雑なアンサンブルや細かい急速なパッセージが頻出するのですが、彼らの
演奏は技術面でも実に確かなものを持っていて、そのような難所でも乱れはほとんど
なく、むしろ聴き手にある種の「爽快さ」すら感じさせてくれます。

・・・ううむ、オッサンたち恐るべし(しつこい)。
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2005年10月23日

ドヴォルザーク&スメタナ : 交響詩集 ノイマン/チェコpo (DENON)

denon_cocq-84041-2.jpgアントニーン・ドヴォルザーク (1841-1904) :
交響詩『水の精』作品107 B195
交響詩『真昼の魔女』作品108 B196
交響詩『金の紡ぎ車』作品109 B197
交響詩『野ばと』作品110 B198

ベドルジフ・スメタナ (1824-1884) :
交響詩『リチャード三世』作品11
交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14
交響詩『ハーコン・ヤール』作品16
シェイクスピア祭のための祝典行進曲

ヴァーツラフ・ノイマン(指揮)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

国内盤 : DENON COCQ-84041〜2

ノイマン/チェコフィルという「黄金の組合わせ」による、ドヴォルザークとスメタナの
交響詩集が再発売されました。

解説によれば、ドヴォルザークの4曲は彼が1895年末にアメリカから故郷のボヘミアに
戻って間もない時期、1896年の1月から11月にかけて相次いで作曲された曲で、いずれも
ボヘミアの詩人・民俗学者であるエルベンの民話集に触発されたものであることから
「エルベン四部作」と総称されているそうです。またスメタナの3曲は彼が故郷を離れて
スウェーデンのイェーテボリで暮らしていた時期(1856年〜1860年)に書かれたもので、
彼が敬愛したリストの様式の影響を強く受けているということです。なおドヴォルザークの
他の交響詩は「エルベン四部作」の翌年に書かれた「英雄の歌」1曲のみ、スメタナでは
連作交響詩『わが祖国』を除けばこの3曲がすべての交響詩ということなので、この
ディスクは資料的な側面からも価値が高いと言ってよいでしょう。

ドヴォルザークの4作品では、さすがに既に傑作『新世界交響曲(交響曲第9番)』を
ものした作曲家らしい熟達した管弦楽法と、彼特有の叙情的かつ民族的な香り豊かな
旋律美を楽しむことができます。またスメタナの3作品は、比較的若い時期に書かれた
もので、やや生真面目さの勝った印象はありますが、用いられている管弦楽法は既に
十分高度なものであり、また作品からおのずからにじみ出る格調の高さと呼ぶべきものも
感じられるように思います。

題材の選び方にも、このふたりの作曲家の傾向の違いが明確に現れており、非常に
興味深いものがあります。ドヴォルザークは民話、しかも(解説によれば)けっこう
おどろおどろしい、もっといえば「エグい」場面を含む民話。それに対してスメタナの
3曲はいずれも英雄譚を素材としています。

収録された曲の中でぼくがもっとも気に入ったのは、ドヴォルザークでは『水の精』、
スメタナでは『ヴァレンシュタインの陣営』です。『水の精』はオーケストレーションの
見事さ、極上の旋律美、全編を貫く劇的な緊張感、これらの点で「エルベン四部作」中の
他の交響詩からは頭ひとつ抜けた完成度を有しているように思います。冒頭で提示され、
その後も執拗に現れる「水の精の動機」も、音楽の運びを強力に牽引する効果を挙げて
います。ぼくは普段オペラはほとんど聴かないのですが、一度彼のオペラを聴いてみたく
なりました。またスメタナの『陣営』は、後の『わが祖国』に通じる響きが収録曲の中では
もっとも多く聴き取れるように思いました。

ところでこの『水の精』という日本語訳ですが・・・この訳だとどうしても可愛らしい
「妖精」のようなものを想像してしまいやすいように思います。しかし実際にこの曲で
描かれているのはそのような大人しげなものではなく、「恐るべき力を持つ水中の世界の
支配者ヴォドニーク(Vodnik、iの上にはアクセント記号)」(解説による)です。「妖精」
ではなく「荒ぶる神」という趣です。それゆえ、日本語の「神」がゴッド(God)だけでなく
スピリット(Spirit)も意味しうる点を活用して、「水の神」という訳にしたほうが
適切なのでは・・・と思ったりもします。

ノイマン/チェコフィルの演奏は聴き手の期待を裏切らない仕上がり。機動力があり、
色彩感も豊かで、かつ全曲を見通した骨太の構成力も感じられる、第一級の演奏です。


(おまけ)
zdnext_entry_book_01.jpg
日本ファルコムの販促品「ザナドゥネクスト エントリーブック」の中の
キャラクター紹介のページですが・・・。
zdnext_entry_book_02.jpg
こんなところに・・・ちょっと笑った。

(c)2005 Nihon Falcom Corporation. All rights reserved.
posted by とりぷる at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ディスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月15日

シューベルト&ドヴォルザーク : ピアノ五重奏曲 カーゾン(pf)他 (Decca)

decca_uccd-3435.jpg
シューベルト : ピアノ五重奏曲イ長調D.667「ます」
ドヴォルザーク : ピアノ五重奏曲イ長調 op.81

サー・クリフォード・カーゾン(ピアノ)
ウィーン八重奏団員(シューベルト)
ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団
(ドヴォルザーク)

国内盤 : Decca UCCD-3435

このあいだ紹介させていただいた「モーツァルト : ピアノ協奏曲第23&27番」の
ディスクに続いて、「クリフォード・カーゾンの芸術」シリーズからもう一枚聴いて
みました。今回は室内楽。

実はお恥ずかしいことに、「ます」をまともに聴くのはこれが初めてだったりします。
有名曲なのに・・・というわけで「ます」のほうは、カーゾンのピアノを云々するより
先に、どんな曲であるのかということをを把握することのほうに重点を置いて聴くような
形になりました(ドヴォルザークのほうは手元に同曲異演盤が2種あり。しかしこちらも
しっかり聴きこんだかと言われれば、あまりそうではないような気もします)。

解説によると・・・「ます」はシューベルト22歳のときの作品。旅行先のシュタイアと
いう町で、この土地の音楽愛好家のジルヴェスター・バウムガルトナーに依頼されて
書かれた曲です。第4楽章の変奏曲の主題に歌曲「ます」の旋律が登場することと、
第二ヴァイオリンの替わりにコントラバスが使われていることは、バウムガルトナーの
依頼によるものであったということです。

曲を何度か通して聴いてみて、シューベルトが音楽仲間たちとアンサンブルを愉しむ
様子がおのずと想像できるような曲だなあ、という印象を持ちました。スケールの
大きさを追究するのではなく、みずみずしい旋律を奏でつつ親密なアンサンブルの妙を
楽しむことができるような曲の作りになっています。そして(バウムガルトナーの意図が
何であったのかはよく分かりませんが)旋律の下支えをするコントラバスのぶおんぶおんと
いう低音が、実にリラックスした雰囲気を提供してくれているように思います。

さて、演奏の内容について。
ウィーン・フィルの団員で構成されたウィーン八重奏団から参加した弦のメンバーたち
(ボスコフスキー(Vn)ブライテンバッハ(Va)ヒューブナー(Vc)クルンプ(Cb))にとって、
ウィーン生まれの作曲家シューベルトのこの曲は、自分たちの演奏の伝統を色濃く
反映させるのにまさにうってつけの曲であったことでしょう。「ウィーン風」という
ものに対してぼくは明確なイメージを持っているわけではありませんが、やや細身で
甘美さの漂う独特の音色には確かに惹かれるものがあります。冒頭から第一楽章の
中間あたりまではどことなく肩の力が抜け切っていないような硬さも見られるように
思いますが、それ以降は音色や音楽の流れもスムーズになり、心地よく聴くことが
できました。カーゾンのピアノも実に巧みな演奏で、前に出て旋律を奏でるところ、
伴奏に回って弦の旋律を支えるところ、そして弦の楽句を導き出したりその後を受けたり
するところ、というそれぞれの役割を、それぞれの場面に適した奏法で、非常に的確に
こなしているように思います。

続いてドヴォルザーク。こちらの曲を担当するウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団も
ウィーン・フィルの団員による団体であり、「ます」を演奏したウィーン八重奏団員と
共通する音楽的美質を有しているように思います。しかし、「ます」とは旋律やリズムの
特質が違い、またスケールの大きさをも志向しているドヴォルザークのこの曲は、
彼らの音楽的美質を十全に発揮するための器としての適合性をさほど多く有してはいない
ようにぼくには思えました。「ます」ではマイナスにならず、むしろプラスに働く面の
多かった「やや細身の甘美な音色」という特色が、ドヴォルザークでは「この曲にしては
音の芯が細いのではないか」というマイナスの評価につながり得るような、そうした
箇所がいくつか見られたように思います。もちろん全体として悪い演奏だというわけでは
なく、美しいと思える箇所もたくさんあるわけですが。なおここでのカーゾンの演奏は、
「ます」ほど表に出てくることは少ないものの、確かな存在感を示す演奏であるという
印象を持つことはできました。

・・・以上ぼくなりの感想を述べたわけですが、「カーゾンの芸術」シリーズの中に
含まれるディスクであるにもかかわらず、カーゾンの演奏に対する評価の比重があまり
大きくない文章になってしまいました。ピアノの相手がオケではなく少人数の弦楽器で
あり、なおかつ書いている当人がこれらの曲に十分慣れ親しんでいるわけではない
ためではあるのですが。
posted by とりぷる at 23:59| Comment(0) | TrackBack(1) | ディスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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