紙の博物館に到着し、入館料を支払って入る。ちぎり絵で描かれた見事な虎の絵をしばし鑑賞したのち常設展示室へ。まずこの地の特産である土佐和紙の歴史をたどる年表、および和紙の品質改良と販路拡大に尽力した吉井源太翁他数名の人士の紹介がある。吉井翁は和紙の普及と品質改良に生涯を尽くした人であり、全国各地から助言を求められれば懇切丁寧に応じ、ときには自ら出向いて技術指導を行なったらしい。展示の図を見るとわが徳島にも脚を運んでおられる。次室には土佐和紙の製法の解説および製紙道具の展示。楮を蒸して樹皮を剥ぐ、この樹皮をあれこれの手順でもって精製したのち漉いて紙にする。すべて人の手に頼っていた時代では気の遠くなるような労力が必要だったろう。ところで剥いだ樹皮は原木のわずか15パーセントにしかならないと展示には記されていたが、樹皮を剥いだ残りの85パーセントはどうしたのだろう。展示には説明がないが別の原木を蒸す際の焚き付けにでもしたのだろうか。
紙の博物館を辞し、仁淀川橋へと続く緩い登り坂を歩く。坂の中央あたりに歴史のありそうな酒問屋の建物がある。たどり着いた仁淀川橋はわが徳島の吉野川橋と同じような鉄骨構造を持った橋であった。欄干の銘板には「昭和五年十月架設」とある。ほう、吉野川橋の2年後かあ、と思いながら後年増築された歩道を歩いていると、現橋のすぐ上流側に橋脚の基礎のような構造物が見えた。なんだこれ。インターネットは便利なもので、調べると明治の終わりから大正始めにかけて造られた木造トラス橋があったらしい。さらにその以前には川渡しや船を連ねた仮設橋が松山街道の一部として仁淀川の両岸をつないでいたという。仁淀川橋東岸にある街並み、憶測だがこれはかつての宿場町だったのではないか。
景色を眺めながらゆるゆると仁淀川橋を渡る。紙の博物館あたりから対岸に見えていた場違いなほどに立派な宿はかつてかんぽの宿だったそうだ。当方は仁淀川橋を渡ったすぐ眼の前にある「水辺の駅 仁淀川にこにこ館」に脚を向ける。ちょうど昼飯時で飲食カウンターが開いていた。土佐あかうし牛すじカレー・・・は少しく値が張ったので普通のカレーライスとアイスコーヒーを注文。イートインスペースでしばし待ったのち出てきたカレーライスは実に変哲のない味だった。
(続く)