昭和から平成へと移り変わったとき、自分は(指折り数えて・・・)17歳、高校2年生だった。前年末にかけて毎日のようにニュースで昭和天皇の容体が伝えられ、世はなべて自粛ムードが広がっていたのを覚えている。
今回、平成から令和への移り変わりでは、今上陛下が御存命のうちに皇太子殿下に位をお譲りになり退位される、という点で昭和から平成のときに比べるとこちらの心持ちもだいぶ違っている。お疲れさまとおめでとうが半々。だいぶ明るめの気分。
午後5時過ぎから挙行された「退位礼正殿の儀」の生中継と、そのあとに続いて放送されたNHKの特集番組を終わり近くまで観ていた。自分はこの日本という国において天皇という存在が極めて大きいものであることを理解はしており、こうして文章に書くときも相応の敬語を用いて書くくらいの分別はあるものの、天皇陛下への敬愛を大っぴらに口にするとか、バンザーイと叫びながら日の丸を振るとか、そうした気持ちにまでは正直なれないところがある。しかし今日、上に挙げたNHKの特集番組を観ながら、天皇皇后両陛下が公務で様々な行事に出席されたり、地震などの大規模な災害に見舞われた地域にお見舞いに行かれたりしたとき、両陛下がときには膝をついてまで市井の人々と視線を合わせ、語りかけまた人々の声を聞かれている様子を、そういえば自分は当たり前のようにテレビで見ていたなあ、ということに思い至り、ちょっとした感慨を覚えた。こういうことは昭和天皇の時代までは当たり前どころかむしろほとんど考えられなかったんだろうなあ、と。それこそが天皇陛下が折に触れ語っておられた「象徴としての天皇のあり方」についての探求と実践、チャレンジであったのだろうと思われる。
天皇という地位には、実はかなりの激務がともなうと聞く。憲法で定められた国事行為はもちろんのこと、様々な公務に加え、皇室の伝統的な祭事も滞りなく務めねばならない。国会で法案の採決が深夜に及ぶ事態となったときなどには、法律の原本に御名御璽が据わらなければその法律は効力を発しないため、法案成立まで待機を強いられるという話もどこかで聞くか読むかしたことがある。
御年八十を過ぎてまでも天皇としてのお勤めを気丈にも果たされ、本日しっかりと御自身のお言葉で退位する旨を述べられた天皇陛下、および天皇陛下を長きにわたって支えてこられた皇后陛下に対し、「本当にお疲れさまでした」と申し上げたいと思う。そして来るべき令和の時代が、自分にとっても他の市井の人々にとっても、おおむね平穏な時代となることを望みたい。